戦争遺跡を訪ねて
終戦記念日の昨日は、東大和南公園の戦争遺跡「旧日立航空機(株)立川工場変電所」へ行ってきました。
「平和市民のつどい」と題されたコンサートなどのイベントがあったのですが、同時に開催されていたのが、変電所内部の見学。ふだんは柵の中には入れないので、この機会を逃す手はありません。今回は写真中心にご紹介。
もともとは、昭和13年、日立航空機の前身「東京瓦斯電気工業」の立川工場の受変電施設として建造された建物でした。太平洋戦争のころには軍需工場への変電所として機能していたため米軍の攻撃目標となり、昭和20年に3度にわたって爆撃され、110名あまりの死者を出したということです。
爆撃をうけながらもこの変電所は原型をとどめていました。戦後、会社はなくなりましたが、別の会社のものとなって、弾痕だらけの状態でありながらも平成5年まで現役の変電所として機能しつづけていました。
その後、この場所に都立公園が整備されることになり、一度は取り壊しが決定したのですが、多くの有志の運動により、戦争遺跡……東大和市指定史跡として保存されることになったのでした。
東大和南公園は野球場やテニスコートなどのスポーツ施設をそなえた広い公園。緑の芝生に覆われた広場に隣接してこの建物が建っている風景は、初めて見る人には異様なものとして映るのではないでしょうか。
この変電所や、味スタ隣の公園にある掩体壕など、多摩地域にはこうした戦争遺跡がたくさん残されています。戦争の記憶は日々遠いものとなりつつありますが、終戦記念日がある8月にこのような場所を訪ねてみるのもいいのではないでしょうか。
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コメント
こんな身近に(今は帰省で愛知県にいますが・・・)生々しい戦争遺跡があるとは知りませんでした。
弾痕も痛々しく、これが自分に当たらなくて本当に良かったと思います。
素晴らしいポタ・レポートありがとうございました。
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投稿: nekki5149 | 2008/08/16 21:56
nekki5149さん、帰省先からのアクセス、ありがとうございます。
たぶん、初めて見るとギョッとされるのではないかと思います。でも、こうした建造物が残っているからこそ、われわれも昔のことを考えることができるというもので……。機会がありましたら、一度見に行ってみてくださいね。
投稿: つぴぃ | 2008/08/17 10:32
「多くの有志の運動により、戦争遺跡……東大和市指定史跡として保存されることになった」とありましたが、地域の人たちの、「身近にいた人たちの死、被災者」への鎮魂、そして「戦争とはなんだったのか」を、いつまでも問い続けていこうという意志が伝わってくる遺構ですね。
写真、リポートがぼくの記憶を刺激し、田舎のちいさな飛行場跡地、防空壕跡、そして航空隊にいた父の当時の話などがよみがえりました。戦争は「戦争」という観念ではなく、具体的な人の記憶や、景色、色、匂いの伴う個人個人の記憶の連続の中にひっそりと宿っているんだと感じます。
投稿: くらわば | 2008/08/18 06:09
くらわばさん、コメントありがとうございます。
味スタ隣の武蔵野の森公園の掩体壕も、そういう運動によって残されたんですよね。私はいつも見て回るだけなのですが、過去に蓋をしないことは必要ではないかと思っています。
戦時中の話を両親に聞いたことはほとんどないのですが、聞いておけばよかったなあと思います。本人たちがすすんで話すことはなかったので、ちゃんとこっちから聞いておかないといけなかったなと。
投稿: つぴぃ | 2008/08/18 11:19