2009/02/03

ハンドル名の由来

唐突ですが、本日はハンドル名のお話です。


ブログを書くときに使っている名前は「つぴぃ」といいます。思いつきで決めてしまったせいか、4年も使っているのにいまだになじめません(笑)。それというのも、20年以上も使い続け、本名よりもなじんでいる別のハンドルがあるからなのです。

実はワタクシ、コンピュータについての知識は皆無なくせに、ネット依存歴だけはやたらと長く、始めたのは「パソコン通信」の時代にさかのぼります。草の根BBSやニフティサーブに入り浸ったあげく、「会議室」の主になっていたことも、当時の仕事と連動させてユーザーの声を聞いていたこともあります。

当時のハンドルは「みいこ」でした。とてつもなくありふれた名前でしたが、ネット人口が少ない時代でもありましたので、私が生息している分野でバッティングしたことはなかったのです。

しかし、21世紀になって(笑)インターネットという広大な世界でブログを始めるにあたり、こんな「どこにでもあるハンドル」を使うわけにはイカンだろう!?と思い、新たなる名前を模索することにしたのでした。

でも、考えればいい名前が浮かぶというものではありません。会心の名前を思いついたとしても、そもそもブログを読んでくれる人がいるとは限らないですし、飽きっぽい性格なので3週間ほどでやめてしまうかもしれません。

あー、どーせすぐやめちゃうんだからいいや!と開き直ったとき、外でシジュウカラが鳴く「ツピーツピー」という声が聞こえてきました。冬のあいだは、庭にヒマワリの種をおいて餌付けをしていたのです。

こうして、ブログライターとしてのワタクシの名前は「つぴぃ」になったのでした。おしまい。

それから4年。自分の予想に反してブログは延々と続いてしまい、たくさんのアクセスをいただくようになりました。一方で、20年来つづいているネットでのつきあいも継続中のため、「つぴぃ」というハンドルにはずっとなじめないままでしたが、ブログを書くだけでしたので特に支障は感じなかったのです。

ところが一昨年あたりからは、ブログを通じて知り合った方とリアルでお会いする機会を得るようになりました。当然ながらハンドルで呼ばれるわけですが、「えー、本当は違うんだけどなあ」と違和感は増すばかり。もう20年も互いをハンドルで呼び合う生活をしているわりには、自分のブログハンドルにはどうにもなじめず、居心地の悪さを感じていました(mixiには使い慣れたハンドルで登録しています)。

3月には当ブログも5年目に突入することですし、タイミングもよく(?)現在使用中のココログの容量もいっぱいになってきました。引越し先はまだ決めていませんが、「青赤自転車でいこう。2」は、「つぴぃ」ではなく「みいこ」で始めようかと思っています。

まだ先のことですが、今のうちからご挨拶を。
使い勝手のいい無料ブログサービスの情報もお待ちしています~。

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2007/05/26

自転車デーなので

初めて自転車で味スタへ行ったのは、03年の6月でした。

気がつけば、もう4年も前の話。本日の名古屋戦は「自転車デー」でもありますので、自転車の思い出話を書いてみることにします。

当時の私の愛車は、買って半年もたたない真新しいブリヂストンのママチャリだけ。もっぱら近所への買い物に使っていて、自転車で行ったいちばん遠いところといえば、往復10キロにも満たない小平グランドでありました。

東京ファンとしてのキャリアも1年足らずで、やっと練習見学の雰囲気にも慣れたころ。オフィシャルサイトを見ていて、近々練習試合が開催されることを知りました。場所は、アミノバイタルフィールド。今はアメフト専用ですが、当時は東京の練習試合やサテライトの試合が行なわれたこともあったのです。

反射的に「見に行こう!」と思ったのですが、練習試合とあっては直通バスが出るわけもありません。JRの駅から路線バスを乗り継ぐのも、何度も乗換えを繰り返して飛田給駅へ行くのも面倒です。……と、ふと「自転車で行けちゃうかも!?」というアイデアが浮かんでしまいました。6月末の試合まで、まだひと月近くあります。今から準備すれば、きっと行けるはず。

でも、実際にどのくらいの距離があるのかもわからないし、どんなルートで行けばいいのかもわかりません。まずは本屋で1万分の1の道路地図を買ってきて、ひたすらルート研究。とはいえ、今まで走ったことがあるのは「多摩湖自転車道」と、一部の歩道だけ。行けるところまで自転車道を進んでから南下すれば何とかなるかも……などとさまざまな可能性を考えてみます。元が臆病なので、計画はあくまで慎重に。

ルート研究と平行して、走行練習もしなくてはなりません。とにかく怖がりだし、体力もないのです(私のヘタれさについては、過去記事をご参照ください(笑))。途中で行き倒れになるかもしれませんし、目的地に着いたとしても戻ってくる体力が残っていないかもしれません。今思うとバカみたいですが、本当に大マジメに心配していたのです。かくして、自転車で走る距離を少しずつ伸ばそうという日々が続きます。もちろんメーターなんてありませんでしたから、「今日はここまで、明日はあの駅まで」みたいな目標を定めて。

計画を思いついてから実際に味スタへたどり着くまでには、2週間ほどかかったでしょうか。初めて、味スタの外観が見えてきたときの感動は今も忘れられません。なんだかものすごく遠くへ来たような気がしたものです(道に迷った上に遠回りをしていたので、実際かなりの距離をよけいに走っていたようです(笑))。

練習試合の開催は日曜日。週末ならばダンナも行かれるはず。さっそく、誘ってみました。
「味スタまで、自転車で行ってみようよ~」
「ウチのビーチクルーザーじゃ絶対にムリだから!」
あえなく却下。当時のわが家には、私専用のママチャリと、錆びついたビーチクルーザーしかなかったのです。

せっかく自転車で味スタへ行かれるメドがついたのにな~とガッカリしていたのですが……。

その数日後、ダンナは自分専用のクロスバイクを買ってきてしまったのでした(笑)。同時に、サドルやらメーターやら周辺部品も同時に購入、翌日には、私のママチャリはフラットバーハンドルになり、女性用サドルが付き、おまけにサイクルコンピュータまで……。こうして、私の自転車生活はFC東京のおかげで始まったのでありました。

そして練習試合観戦の日、やっぱり道に迷いまくった挙句に走った距離は往復40キロ以上。所要時間も3時間以上かかったような気がします。今となっては、いったいどこをどう走ればそんな距離になるんだろう?という感じですが……。確か小金井公園に迷い込んで、出口を求めてしばらく園内を走り回っていたような)。それでも無事、帰宅したときの満足感は今も覚えているものです。

そんなこんなで始まった自転車生活も、まもなく5年目に突入。ここまで来られたのも、背中を押してくれた自転車師匠と自転車仲間(先輩?)の皆さん、そして日々懲りずにメンテをしてくれるダンナのおかげでございます。本当にありがとう。これからも安全第一でのんびり行きます。

さて、これから味スタへ。反射シールが楽しみ。メッセンジャーバッグは高額なので、購入は商品を見てからということで(笑)。

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2006/06/30

自転車生活4年目に突入!

初めてママチャリにメーターをつけて、味スタへ行った日から3年がたった。

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↑ママチャリからここまで進歩しました


今日から、自転車生活4年目に突入!である。丸3年も乗っているわりには、いまだに1日に100キロ以上走ったこともなければ、目的地は近場ばかりだし、レースに出ようとも思わないし、相変わらず怖がりだし、峠にも行ったことがないけれど、私にしてはよく続いていると思う。

そこで、「自転車生活が続いたわけ」を考えてみた。


*(自転車的に)恵まれた環境に住んでいること

ミもフタもないことを書いてしまうけれど、たぶんこれがいちばん大きい。ウチから多摩湖自転車道まではすぐだし、野火止用水やら黒目川やら玉川上水やら、車が少なく、自転車で走って楽しい道がたくさんある。多摩サイまでは10数キロあるけれど、慣れてしまえばたいしたことはない。小金井公園や昭和記念公園など、自転車で入れる公園が多いのもありがたい。

一時期、中野区に住んでいたことがあるのだが、今もそこに住んでいたとしたら、はたして自転車にハマっていただろうか。環七や新青梅街道は近かったけど、自転車道のようなものはあまりなかったような記憶がある。私が自転車にハマる可能性はほとんどなかったに違いない。あるいは、多摩丘陵に住んでいたらどうだっただろう。坂を乗り切るために電動アシスト付自転車を買うのが関の山だったのではないだろうか。


*定期的に行く場所があること

通勤や通学など、必要に迫られて自転車に乗る場合は長続きしやすいようだ。私にはそんな目的はないけれど、しいていうならばそれは「味スタ」。そもそも、アミノバイタルフィールドでの練習試合を見るために、自転車で行こうと思ったのがすべての始まりだったのだ(練習試合なのでJR駅からのバスが出ない)。今や、FC東京と自転車は、私の生活の中心だったりするのである。


*減量して、体調がよくなったこと

自転車生活を始めて約半年でかなりヤセた。身長は161センチなのだが、体重は53.5→47.5キロ、体脂肪率は27%→19.5%になってしまった。それまでは「もう中年なんだし基礎代謝も落ちるのだから、太っても仕方ないや」とか「年を取ったら少しふっくらしていたほうが」などとイイワケしてダイエットを放棄していたのだが、自転車に乗っているだけで自然に減ってしまった。ちなみに、高校時代だってここまで減ったことはない。

さらには、それに伴ってアレルギー症状は軽くなり、喘息は治まり、風邪もひきにくくなり、快眠快便(笑)と、何だか健康雑誌の見出しのように健康になってしまった。ついでに、歯周病で定期的に酷く痛んでいたのに、ここ3年は症状も出ず、進行も止まっている。検証したわけではないので、すべてが自転車のおかげとは言い切れないのかもしれないが、自転車生活の開始とともに改善したことだけは確かなのだ。

これだけ劇的に体調がよくなると、「元に戻るのはイヤだ」という強烈な気持ちに支配される。元に戻ってしまったら、体調も悪くなってしまうし、せっかく買いなおした服もムダになってしまうのだ(笑)。


かくして、3年という年月はあっという間に過ぎ去った。今日からは4年目。今までの人生でこんなに体調がよかったことはないので、この3年は思いもかけない贈りもののような気がしている。幸せな夏休みのようなこの時期がもっと長く続いてくれることを祈りつつ、今日も自転車で出かけることにしよう。

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2006/05/06

今日から5年目

今日5月6日は、私が東京の試合を見るようになって5回目の記念日である。

初観戦は2002年の5月6日、ナビスコの神戸戦だった。

それまでは一度もスタジアムで観戦したことはなかった(タダ券で代表戦を見に行ったことはあったが、自分の意思ではない)。海外サッカーはかなり熱心に見ていたけれど、発足時の馬鹿騒ぎが好きになれずにJリーグは敬遠していたのだ。それでも6月にはW杯の試合を見に行くことになっていたので、W杯開幕前に一度スタジアムの雰囲気を体験してみようと思って、東京スタジアムに行くことにしたのだった。

「なぜFC東京だったのか?」といえば、ヴェルディは読売だから嫌いで、ヒロミがいる東京のほうがいいだろう、くらいの理由である。原さんが解説者をやめて東京の監督になると知った時は「なんでそんなマイナーチームの監督なんかになっちゃうんだ」と思っていたくらいだった(笑)。

チケットはぴあで買ったと思う。勝手がわからないので指定席だ。ヴィッセル神戸がどんなチームかも、東京にどんな選手がいるのかも知らなかった(そもそも知っている名前は神戸のカズさんだけだったが、出場しなかった)。リーグ戦とナビスコ杯の区別もつかなかった。知っているのは「ヒロミが監督」ということだけ。

そして、記憶に残ったことといえば……。「スタジアムが広くてとてもきれい」「グリーンのピッチが美しい」「応援がこんなに盛り上がっているとは知らなかった。楽しそう」ということくらい。そういえば「寒かった」ことは記憶に残っている。ゴールデンウィークでポカポカ陽気だったが、メインスタンド側は日陰でガラガラだったのだ。観客がたくさんいて、暖かそうなバックスタンドが心底うらやましかった。私が今でもバックスタンドの住人であり続けるのは、たぶんこの時感じた寒さが原因……かもしれない(笑)。

試合に勝ったことは覚えていたが、誰がどんなゴールを決めたのかとか、どんなサッカーをしていたのかとかはまったく覚えていない。そのくせ「また来てみてもいいかな」とは感じたのだから、不思議なものだ(W杯後に初めて見た広島戦はかなり鮮明に記憶に残っているのだけれど)。

この後、W杯を5試合見て、7月にリーグ戦を2回見に行った。多くの観客が首からぶらさげている冊子状のチケットをほしいと思った。かくして、2ndステージからはSOCIOになって、現在に至るというわけだ。

今日からは5年目に突入。本日の対戦相手は、大宮アルディージャ。昨年の対戦では、選手もファンも涙なしではいられなかったほどの悔しい「引分け」を喫した相手である。今日だって、絶対に負けられない。しっかり勝って、いい状態で中断期間を迎えたいものだ。

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2005/07/08

青赤自転車への道・1

やっと「青赤自転車」を所有できるかも、というところまで来たので、少しずつ経過でも書いていこうかと思います。

まずはプロローグから(話が長いのだ)。今回は「運動音痴自慢」の話。

サッカーと自転車の話ばかりしているし、自転車のおかげですっかり細くなってしまったので「運動がデキる人」と思われてしまうことがあるのですが、私は典型的な「運動嫌い」でした。正確には「体育嫌い」かな。学校では常に体育の成績は最低ランクを突っ走っていましたから。

マラソンをすれば途中で倒れるし、50メートルを走るのに11秒もかかったし、握力を測ったら両手とも5キロしかなかったし、バレーボールをやらされればサーブはネットまで飛ばないし、もちろん跳び箱も飛び越せなかったし、さかあがりもできなかったし、25メートルも泳げなかった……。学校を卒業していちばんうれしかった理由は「もう体育をしなくてもいい」でしたからねー。私の小中時代は暗黒時代でしたよ。

でも大人になるに従って丈夫になり、それからの人生はかなり明るくなりました(笑)。まさか自分がスキーやダイビングやボディボードで遊べるようになるとは思わなかったなあ。とはいえ、体力がついても運動神経が良くなるわけではないので、そのあたりは実力と相談しながらほどほどにやっています。やっぱり実力はわきまえないとね。

で、何が言いたいかといえば、こんな私でも自転車生活ができますよ、ということ。楽しみ方もいろいろ、乗り方もいろいろ、個人の力と趣味趣向に合わせてどうにでもなるのが自転車なのです。

この2年間で、ママチャリ~クロスバイク~折りたたみ小径車~MTBと、すべてを楽しんできましたが、まだ乗っていないバイクがありました。それがロードレーサー。知り合いの自転車仲間はほとんどがロード乗りで、「他の自転車とは全然違う!」と力説します。そんなに違うのなら、一度くらい乗ってみたいものです。しかし、こんな私でも乗れるロードレーサーはあるのでしょうか?

青赤自転車への道はここから始まるのでした(続きはそのうちに)。

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